デビルマンクライベイベーの感想を書く中で消した部分

さきほどデビルマンクライベイベーの感想は書いたのですが、これもともと書いてあって、翌日に読み返したら「そうか?長いうえにツギハギ書いたためか脈絡もなく話も飛びまくり何を言っているかわからない」となったので消したけどあまりに長いのでのせてみます。
わたくしの感想:第一印象~中盤「絵が変」「人間や物体に影がないのが気になる」「絵が変」で、中盤~終盤くらいは「美樹ちゃんいいやつなのはいいけど危機感がすくなくて気になる」。9話目と10話目は「大ごとになっておもろい」です。うすい。念のため(?)9話目と10話目はもう一度ずつくらい見てみようかな。
友人がメイドインアビスみて「主人公の女の子が好きになれない、周りのこと考えなさすぎだしロボに頼りすぎだしアビス舐めすぎ」と言ってて、わたくしはその内容はわかるけどそんなにこころからそうは思っていなくて、たぶん絵が等身が関係しているんじゃないかな。メイドインアビスとか少女週末旅行とかまどかマギカとかそれくらいの絵だと「アニメ」「ファンタジー」として見られるけど、そうでないと多少現実的な目でみてしまう部分がありそう。メイドインアビスには「性癖っぽくてちょっとひいちゃう」と感じないけど、言の葉の庭とかに対してそう感じるのはそういったおかげもあると思います。なんのはなしだっけ。
こうやって感想かくのあまりしないけどしていこう。
了さんが覚醒するまでたとえばマンションで二人過ごしているときとか、明のことすき死ぬなみたいな様子だったけどそれはそれで本当なのかな、どういうことなんだ?覚醒してからの一瞬はほとんど別人(?)と考えてOKなのかな。覚醒する前の行動に感情や人間らしい思考はやはり伴っていなかったのかな、そういうことか。
あとは「愛する人を永遠に失ってしまう」ということに対しては、心動かされたというか、なにかを思いかけました。そういう目線だと最終的に不動明や了さんにはすこし感情移入していたのかな、太郎くんとその父母のエピソードや不動明とその実親のエピソードよりも9話10話がおもしろくドラマチックに感じたということは。
マン!マン!ヒュマン!マン!ヒュマン!
あと、この作品からはそこまでバイオレンスさを感じなかったけれど、バイオレンス系の映像は家のテレビで見るよりも外でスマートフォンで見たほうが気楽でいいですね。でも大きい画面のほうがインパクト大きいことも確かなので、もしかするとデビルマンも大きな画面で見たらぜんぜん印象違ったのかなあ。全体的に画面がのっぺりしているとき多いので、むしろスマートフォンでよかったとも思うし、2回同じ条件で視聴することが難しいので難しいですね、1回目と2回目と3回目では受け取り方がそれだけで違うはずだものね、100回くらい繰り返し見たら101回目と100回目くらいはピュアに画面の大きさだけで比較ができるかもしれないけれど、まあ恋や仕事や人生と一緒でタイミングですね。
なげ~